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自伐型林業の先進施業地を視察


福岡県八女市星野村の「弥一の森」を歩く


 7月2日に山江の研修生全員で、江良塾長の所有林「弥一の森」を見学に行ってきました。

この「弥一の森」は、もともと江良塾長の先祖代々の山で、塾長の小さい頃は、お父様と一緒に山仕事にも来ていた馴染みの山です。



「弥一」の名前は…


 「弥一」というのは杉の名品種で、なんと塾長のご先祖様・江良弥一氏にちなんだもの。江良一族で林業を行いながら、新しい品種開発までも行っていた先進林業者でした。塾長も将来は親の仕事を受け継いで林業に従事するつもりでしたが、70年代に材価の値段が下がってしまい、林業の将来に不安を感じて、とりあえず星野村を出て、サラリーマンになったそうです。


 いつか家に戻って林業をしたいという夢を持ちつつも、材価は持ち直すどころか、下がるばかり。これはもう林業では生活できないとあきらめかけていた頃、2012年の九州北部豪雨により、弥一の山にも土砂災害が発生してしまいました。


 小さい頃、家族と山仕事に通った山道は大岩や倒木で塞がれ、名品種の杉にも土砂が襲いかかって、すっかり荒れてしまいました。


塾長は、もう一度この山を再生させたい、災害に強い山にしたいと強く思ったそうです。



自伐型林業との出会い

 平日は都会でサラリーマン、土日は弥一の山へ…といっても何から手を付けたらいいのかわかりません。そんな時、徳島県の指導林家・橋本光治先生との出会いがありました。


 橋本先生の教える「自伐型林業」を学んで、貯金を奮発して小さなバックホウを購入し、週末に通って山に小さな幅員の作業道を入れ、間伐を繰り返していく日々。

 

 一人で悪戦苦闘しながら山の手入れを続けていくと、混み合った木々に隙間ができて光が入るようになり、次第に木漏れ日のある森が蘇ってきました。


 森が変化してくるとますます林業が楽しくなった塾長。平日には普通に働いて、休みの日に林業なんて忙しすぎないか?とよく聞かれていたそうですが、塾長によると、林業が楽しいので、週末のために仕事を一生懸命スピードアップしてがんばったそうです。


 たまに仕事上で嫌なことがあっても、林業をすることでリラックスして、気持ちもリセットできたとのこと。もちろん林業による収入も、林業のスキルが上がるたびに、少しずつ増えてきました。塾長自身が自伐型林業を半林半Xで続けられた成功事例とも言えるでしょう。


水の勢いを「柔よく剛を制す」で


谷を渡る道「洗い越し」を見よう


ここは、山の「谷」にあたる部分で、普段は枯れてますが、雨が降ると水が集中して流れるところです。水の集中をいかに防ぎながら、谷を渡る道を作っていくかが大きなポイントです。


もちろん橋なんて作りません。

ましてやコンクリートで固めるようなこともしません。お金かかるし。


自伐型林業では山にあるものを全て使う伝統的工法で「洗い越し」を作ります。通常は水は石の隙間を流れ、雨が降って水量が多くなると石の上を流れるような水の道を作っています。谷に洗い越しを作ると、土砂や石は洗い越しでいったん止まり、水は勢いを少し緩めます。


我々日本人が培ってきた山仕事の知恵は、現代でも有効なのです。


球磨地域の山々も、きっと再生できる。


ゆっくりと研修生たちが江良塾長のお話を聞きながら作業道を登ってきました。


見事な弥一杉の間に広葉樹が枝を伸ばし、調和している森。


絶望的な状況から、たった一人で10年をかけて、週末だけで作り上げた「弥一の森」は、荒れた山でも、土砂災害に遭った山でも、必ず再生できるという証ではないでしょうか。


研修生たちは、2020年の球磨川豪雨災害を身近に感じており、なんとか球磨地域の山を緑と水の美しい、豊かな山に再生できないかと心を痛めている人達ばかりです。


しかし今の林業では、山の全ての木を伐ってしまう大規模皆伐がメインで行われているのが現状です。大規模皆伐が、保水力を失った山の土砂災害のリスクを高め、生態系を崩す大きな問題を抱えていることは周知の事実にも関わらず、経営優先の林業が止まることはありません。


今回の休眠預金事業によって育成された自伐型林業の研修生たちが、山江村を中心に施業を続け、少しずつでも球磨地域の荒れた山々を再生できたら…。


そんな思いで私達は今回の休眠預金事業を行っています。




みんなと記念撮影。大木に育った弥一杉は、「弥一の森」のマザーツリーです。



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